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はぴ・みるブログ

カシューナッツさんの日記【13】エボラ出血熱流行の国際的な対応について
2016年06月03日

こんにちは

カシューナッツです。

今日はエボラ出血熱流行に対して国際的な対応はどうだったのかということをお話ししたいです。

この話しをするには、シエラレオネにおけるエボラ出血熱のパンデミック前の初期段階での状況についてお話しなければなりません。

このことはNHKスペシャルでも報道されました。

エボラ出血熱はその感染経路を遡るとシエラレオネ東部のギニア国境沿いの村=クポンドゥ村で最初に発生したことになります。

2014年4月の14人の集団感染から始まりました。(私とまめさんがシエラレオネに入国・視察したのは4月14~20日でした。)

この対応の先頭に立っていたのが医師のウマル・カーン氏

クポンドゥ村入りしたウマル・カーン医師は病状の深刻さ・感染力の強さ・防疫態勢の脆弱さ等を目の当たりにして危機感を持ち、シエラレオネ政府と国連・WHOに緊急要請を行った。

シエラレオネ政府には人の移動による感染拡大を防ぐために、中部の都市・ケネマそして西海岸の首都・フリータウンへの幹線道路の緊急封鎖を要請した。

WHOはじめ国際機関には医師・看護師の派遣や薬剤や医療機器等の緊急支援を要請した。

しかし、この時点でのシエラレオネ政府やWHOの動きはなく要請は叶わなかった。

政府は幹線道路の封鎖による経済的マイナスを重要視して要請を断っている。

WHOは40年前と同じように数週間で終息するだろうという受けとめがあり動かなかった。(40年前の流行の宿題としてとしてのワクチンの開発はサボタージュされていた。)

ウマル・カーン医師はケネマでの「患者隔離」対策で対応することを余儀なくされましたが、その後数週間で手がつけられない流行拡大・パンデミックとなっていきます。

ウマル・カーン医師自身も感染し7月に死亡するという医療関係者・政府機関にとって衝撃的な事態となります。WHOが緊急事態宣言を出したのは8月になってからでした。

事後の「たられば」であの時ウマル・カーン医師の要請を受け止めていれば・・・という反省や教訓が残りました。

そしてこの反省と教訓を総括して先月27日の「G7伊勢志摩首脳宣言」で「保健分野」の課題が明確化されました。引用します。

―――(前略)

我々は特に,「健康危機に対する世界的な対応に関する国連ハイレベルパネル」による取組を含め,世界中の広範囲の専門家から提供された知見を通じて,エボラ出血熱の流行から教訓を学びつつ,保健システムが,強じんであり,かつ,パンデミックその他の深刻な事態のような地球規模 の公衆衛生上の脅威に対応し,より良く備え,及びこれを予防する能力を備える必要があることを認識する。

公衆衛生上の緊急事態に対する迅速かつ効果的な対応はまた,世界保健機関(WHO)改革,迅速な対応のための速やかな拠出を可能にする資金調達メカニズム,関連するステークホ ルダー及びシステムの間における行動の協調的な実施並びに国際保健規則(IHR)のより良い実施を必要とする。

―――(中略)

この宣言が早急に具体化されることを期待したいです。

今回のエボラ出血熱のような深刻な悲劇を繰り返さないように国際的連携とWHOの機能強化を通じて今後の対策の具体化を祈るばかりです。