HAPPY MILK PROJECT

モザンビークについて

駐日モザンビーク共和国大使からのメッセージ
支援国モザンビークについて
ハッピーミルクプロジェクトのスタートにあたって
 

このたび、コープネットと日本ユニセフ協会によって設立されたモザンビークの子ども支援のためのハッピーミルクプロジェクトを全面的に後援できることを、大変うれしく思います。

モザンビークを含む多くの開発途上国では、栄養不良やその他の病気により5歳未満で亡くなる子どもが数多くいます。この問題は、食料の不足と価格高騰によりますます悪化しています。

ハッピーミルクプロジェトは、絶対的貧困の削減と栄養補助サービスを提供するという国家目標と一致するものであり、希望と幸福の象徴です。

このプロジェクトは子どもたちと母親に希望をもたらし、わが国の子どもたちの命を守り、生活を向上させるでしょう。

コープネットとユニセフによる人道と連帯の行動は、モザンビーク共和国政府が深く感謝するところであり、賞賛の意を表しお祝いの言葉とさせていただきます。

モザンビーク共和国大使館ホームページ

基本情報

モザンビークの歴史

モザンビークモザンビークの歴史は、2000年前のバンツー族が定住し、モザンビークの中央から南部にかけて、モノモタパ王国を築いたことに始まります。紀元後900年頃にはすでにインド、ペルシャ、中国、とりわけアラブ世界との交易の拠点として急速に発展しました。

こうした商人にとっての最も魅力的な主要産物は金であり、この高価な鉱物資源はポルトガル人を最初にモザンビークに引き寄せ、バスコダガマも1498年にインドに行く途中に上陸しました。ポルトガル人は、1505年、ソファラに最初の交易拠点を設置し、金の輸出を始めました。
17世紀後半までに主要交易品目として象牙が金にとって代わり、その約50年後には奴隷が主な「交易品」になりました。

モザンビークは、1752年にリスボンの直接統治下におかれるまで、ゴア(インド南西岸の旧ポルトガル領)から統治を受けていたため、数多くのインドの交易拠点が作られました。その名残は今でもモザンビークのあちらこちらで見られます。

アラブ人の“自由交易都市”は19世紀の終わりまで続きましたが、ポルトガルの植民地化が正式に承認された後は、スルタンの領地が存在した地域のイスラム教の遺産を除き、すべて破壊されました。
20世紀の初期には広大な面積の土地が私企業によって統治されていました。農業が主要産業になり、白人優位の政策が実行された一方で、おびただしい数の貧しい黒人農村労働者がうまれました。

こういった抑圧と搾取によって、独立運動と解放戦線組織の設立がひきおこされ、反乱が起きました。1962年に設立されたフレリモ党もその一つです。 独立戦争に勝利し、1975年6月25日にモザンビークはポルトガルから独立しました。その後起こった17年間の内戦は1992年に終結し、1994年10月複数政党による選挙が行われ、フレリモ党が勝利、1995年にイギリス連邦に加盟し、現在に至ります。

(「モザンビーク共和国観光省パンフレット」より)

モザンビーク島と聖セバスチアーノ要塞

モザンビーク島と聖セバスチアーノ要塞 ©Unicef

モザンビーク北部のモザンビーク島。「モザンビーク」という国名は、この島に由来しています。ポルトガル統治時代の首都があり、当時の名残が色濃く残っています。当時は、ポルトガルの東アフリカ貿易の拠点で、実はあの「フランシスコ・ザビエル」も、ローマへ行った「天正少年使節団」もここを経由して、日本と欧州を行き来しました。


モザンビーク島と聖セバスチアーノ要塞 ©Unicef モザンビーク島の北端にある、聖セバスチアーノ要塞。16世紀の建築で、モザンビーク唯一の世界遺産です。傷みが激しく、床や天井が落ちてしまっているところもあり、現在ユネスコが修復中です。 モザンビークもまた歴史に彩られた国なのです。

国土

モザンビークの面積は日本の約2倍、80万km²に及びます。アフリカ大陸の東南に位置し、北はタンザニア、マラウィ、ザンビア、西はジンバブエ、南は南アフリカ、スワジランドと、6カ国と国境を接しています。2500kmの長い海岸線には、ラグーンやサンゴ礁、群島に縁取られたすばらしいビーチがたくさんあります。人口は沿岸と川沿いの低地に集中しています。ザンベジ川は、25ある川の中で最大です。金、エメラルド、銅、鉄鉱石、ボーキサイトなどの鉱物資源が豊富です。

(「モザンビーク共和国観光省パンフレット」より)

気候

沿岸地帯は熱帯から亜熱帯で、一年の長い期間で気温が高い一方、内陸部は4月〜9月の乾季には暖かく穏やかな気候で、涼しくさえあります。北の地方では、この期間が数週間ほど長くなります。モザンビーク北部沿岸は、時折、熱帯性サイクロンに襲われることがあります。ほぼ1年を通して晴天が続きます。

(「モザンビーク共和国観光省パンフレット」より)

文化・風俗

文化・風俗  ©Unicef モザンビークの文化は、他のアフリカ諸国と比べ、アフリカ、アラブ、ポルトガルの影響をそれぞれ受け、それらが融合していることが特徴です。特に、植民地時代の文化的遺産として、ラテン的な魅力があげられます。ラテン系のリズムの音楽とダンスは、陽気でエネルギッシュなモザンビークの人々そのものを表現しています。
ほとんどの女性は、カプラナと呼ばれる巻きスカートを身につけています。カラフルな布はモザンビークの女性にとてもよく似あい、おしゃれです